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[ 私をスキーに連れてって ] - [ トータルコーディネート ]


「トータルコーディネート、世界初って訳だな」
まだ発表されていないであろうサロットの板やウェアに身を包んだ矢野君は 仲間に自慢げにいうが、
「世界初はいいけど、売れそうもねぇな」
「そうそう、全部まとめて揃えなきゃ意味ないなら、初心者か相当のミーハーに しか売れないからな。ま、先は見えてるな」
と軽く一蹴される。

確かにこの当時、すべてのマテリアルを一つのブランドで揃えることはできなかったから、 バブル期としてはなかなかのアイディアだったようにも思う。
そしてあれから15年経った現在、ブランドの統合が起こり 巨大コングロマリットを形成している。
では、トータルコーディネートはどうか?

1990年、サロモンが翌シーズンから板を売り出すためにプロトタイプを送り出した。 この辺りがブランド統合の兆しだったのだろうか。 (余談だが、当時「サロモン・スキーナウ」という スキー界では相当名の知れた番組があって、まだ名の知られていない 我満嘉治選手がデザインのない真っ白な板で滑っていたのが思い出される。 スキーナウはもう復活することはないのだろうか……。)
ちょうどその頃は、板をロシニョールかアトミック、ダイナスター辺りで選択し、 ブーツはラング、ノルディカ、あるいはサロモンの高機能リアエントリーを選ぶ時代だった。 つまり板とブーツは全く別のもの、という考え方が主流、というよりはそういった 選択しかできない時代であった。
翌年、サロモンが板を売り出すことによって板もブーツもビンディングもサロモンで揃える ことが可能になった。しかし、発売当時の板とブーツ、とてもデザインや色で コーディネートされているとは考えにくいものだった。
これが当時大ヒットのエキップデモとインテグラル シーズンを経るごとに板とブーツとビンディングのコーディネートが少しずつ進んで いったが、実際にそれが完成体となったのは、サロモン初のフロントバックル、 「インテグラル」シリーズが登場し、その後デモ用モデルとして青い板、青いブーツ、 青いビンディングが揃った時ではないか。(またまた横道にそれて申し訳ないが、 それまでリアエントリーでの高性能を謳ってきたサロモンだっただけにこの登場は 衝撃的で、前年にSX92というリアエントリーの最高峰を買ってしまった友人は 一種の裏切りのような不信感を覚えていた……。)
以後、サロモンはオンヨネと提携し、ウェアも発表。 すべてがサロモンブランドで揃うようになった。

ちょうどこの頃から各社のブランド統合が動き始める。それまでレース界で知名度の 高かったブーツ、サンマルコはヘッドブランドに吸収され、コフラックのブーツも アトミックに変わった。ロシニョールはルックからのOEMでビンディングを登場させ、 各社ウェアも用意されているので、「すべてが自社ブランドで揃う」時代の始まりとなった。

板がカービングとなり、プレートがつくようになった現在、ビンディングは 同ブランドでないと付かないなどといった制約もあるようになったが、 日本人は全般的に同一ブランドで揃えることを好む。ブーツもデザイン的に揃っているので、 矢野君の提唱するトータルコーディネートはある程度浸透したといってもいい。

しかしよく見るとウェアだけ孤立していないだろうか。 決してデザインがコーディネートされていないというわけではないのだが、 メーカー側も矢野君のいう全身トータルコーディネートといったプロモーションを 行っているようには見えない。
ちょうど長野オリンピックの頃、全日本のウェアはロシニョールだった。 その頃のロシニョールのウェアは白と黄色と黒を基調にした攻撃的なデザインで、 黄色と黒でデザインされた板やブーツ、ビンディングと実にコーディネートされている。 なのに、だ、トータルコーディネートを意識したプロモーションや広告などは 全く見かけなかった。
そこまでやると「やり過ぎ」なのだろうか。

矢野君の提唱するトータルコーディネートをカズヒコは、
「初心者か相当のミーハーにしか売れない」
と返したわけだが、トータルコーディネートされているのは一部のトップモデルのみで 到底初心者向けではない。とすると残るマーケットはミーハー層となる。
やはりバブル期の発案、矢野君のアイディアは夢と消えた……。

(02-OCT-2001 wrote)

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