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[ 私をスキーに連れてって ] - [ どの道通って志賀高原? ]


待ちに待ったウィンターシーズンの幕開け、ゲレンデでのホワイトクリスマスに心躍らせながら、優ちゃんを乗せたバスは志賀高原焼額山へと向かう。ヤスヨとお菓子をつまみながら談笑するその横を、他のメンバーが待つロッジへと向かう矢野君の赤いカローラIIが追い越していく。
私をスキーに連れてってのオープニングシーン、これから始まる出会いのシーンを予感させる、絶妙な伏線である。
──と大袈裟な感嘆をしている場合ではない。バス、そして矢野君はいったいどこを通って志賀高原へ向かっているのか?

よくこのシーンを見て欲しい。
バスが左端の車線を走り、その右側を矢野君のカローラIIが追い越していく。そして右の車線は当然カメラ車がいるわけで、となるとここは片側3車線である。抜きにかかる瞬間のシーンが少し前にあるが、ここを見ても道路は確かに片側に3車線存在する。

前のコラムでも書いたが、バスと矢野君のカローラIIは練馬インターから関越に乗る。実に心踊るシーンであるが、関東から志賀高原へ向かうのであれば、当然の選択肢である。そうなると、この追い越しのシーンは当然、関越道であって然るべきであろう。

しかし、だ。ちょっと待って欲しい。この関越道が現在のように前橋まで片側3車線化されたのは90年代半ばのことである。つまり、この映画の背景である80年代はまだ、関越道は全線片側2車線だった
じゃあいったいここはどこなのだ?

80年代の当時はまだ、上信越道はなく、志賀高原に行くためには関越道で高崎か藤岡で降りて、18号の碓氷峠を越えるか254号の内山峠を越えるかして佐久に抜け、さらに18号で上田、小諸、そして長野市内から湯田中温泉へとアプローチするのが一般的だった。何しろ一般道の距離が長いので大変だったのだが、さらに国道が信州の町々を経由するのでその随所で混雑が起きるのだ。
みんな大変な思いをして志賀高原へ行っていたものだった。
メイン・アプローチがそんなコースだから、抜け道や裏道、ショートカットを探すスキーヤーも決して少なくなかった。渋滞ポイントの交差点を外すショートカットから、街を大きく迂回するようなバイパス的な裏道まで、地図片手に(当時カーナビはまだない)いろいろな道を探したものだった。

話を戻そう。優ちゃんを乗せたバスは関越道を走り志賀へ向かう。普通に考えるならば、やはり藤岡か高崎で降りて下道である。しかしながら関越道に片側3車線の道はない。

いや、ある。この80年代にも関越道に片側3車線の場所が一箇所、存在するのだ。
関越道下りを新潟に向けて北上し、高崎、前橋、渋川伊香保と過ぎると、この道は急激な登り坂に入る。そう、渋川伊香保−赤城間に登坂車線が存在するのだ。
関越道で3車線といったらここ以外考えられない。
そうそう、現在ではもう全く考えられないが、志賀へ向かう裏道の一つに、関越道の塩沢石打インターを利用するというものがあった。石打の駅近くから353号という国道を使い、津南に抜ける。JR飯山線沿いに西に向かい、野沢、戸狩といったスキー場を眺めながら湯田中に入るという、超大穴的裏ルートである。353号なんて国道のクセに整備状況が悪く、積雪時の夜間なんかは帰りたくなってしまうようなコースだった。
しかしこのコース、途中に大きな街もないので、混雑にイライラすることはない。少し苛酷なだけだ。

優ちゃんのバスと矢野君のクルマ、渋川伊香保から赤城への登り坂を駆け上がったということは、果たしてこのコースを使ったのだろうか。
実にマニアックである。

──しかしこの道、大型車って通れたっけか?

(13-NOV-2001 wrote)

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